2013年09月20日
あまちゃんメモリアルブック
朝夕はだいぶ冷えてきましたが、今日の日中は残暑が厳しかったです。
でも、今朝は“あまちゃん”に加え、アサイチにて“生”能
年怜奈を見る事が出来ました。
宮本信子が、“ものすごい人見知り”と言うように、
話している最中に“固まってしまう”ことがしばしば。
言葉を選びながら話しているのだと思いますが・・・
どこか、綾瀬はるかに似ている感じも・・・
おじいちゃんも帰ってきて、残り1週。
ラストより、終わった後の喪失感が心配・・・。
久しぶりにブログの更新できなかった昨日。
僕が横浜に来るきっかけとなった桜木町にあったヤマハのテニススクール。
みなとみらい開発のため、閉鎖されたのが1984年。
スクール実動は8年間でした。
テニスコーチとして本格的に勉強を始めたのがこのスクールでした。
当時学生のアルバイトコーチだった後輩とは、閉鎖後も付き合いは続き、年に数回飲んでいます。
今回、50歳ということで、後輩が僕のお誕生日会を企画し
てくれました。
なんと、40過ぎの男性からプレゼントまで頂きました。
キャップとテニスグッズ、そ・し・て、本人も家族全員“あまちゃんファン”という佐藤(企画者)が、
“あまちゃんメモリアルブック”
をプレゼントしてくれました。
(家族用にも買ったらしい)
こんな本があるのも知りませんでしたし、当然、購入するなんて発想はありませんでした。
タオルや鉢巻きが売ってるのは知ってましたが・・・
タイムリーなプレゼントでした
20時から浜松町で後輩の送別会だと言うのに、勤め先の新宿から、18時半~20時過ぎまで顔を出してくれた小谷。
一次会の、野毛“小半(こなから)”
の前にて集合写真。
1番長い付き合いの後輩とは28年来です。
この時11時半くらい。
全員で、二次会の、野毛“三陽”
まだまだ元気
3次会、12時半くらい。
歳の近い、3バカトリオ。
二人は1つ後輩。
ほっんと、1つでも上で良かったと思う2人。
ヤマハ当時、借り上げの社宅で、二人とも僕の一階下に住んでいた経験があります。
左は今ジュニアのスクールで頑張ってる、理論派。
スポーツオタク。 腐れ縁・・・。
真ん中の後輩は、娘がインターハイ優勝のメンバーで、大学でもテニスを続けるそう。
“俺に似ずに運動神経が悪い”とボヤいていましたが、テニ
スをしてくれてるのは嬉しそう。
このセンターが、“もう一杯だけ・・・”
と言い続け、結局2時を過ぎる。
最後に、“ほんとうにもう一杯で・・・”
との願いを丁重にお断りし、解散。
蒲田までタクシーで帰りました
“閉鎖”になって最後を迎えたからか・・・?
総勢、50名近い当時の仲間とは、繋がりが深いです。
閉鎖から20年。
当時と変わらない性格、お互いに歳を取って成長したところ、すべてをひっくるめて、気の許せる仲間であり、僕の大きな財産になっています。
仕事で忙しい中、このような会を催してくれた事に感謝の夜でした。
しかし・・・
8時間って、朝の9時から5時までと言う事ですよね?
楽しいとは言っても、けっこうな時間でした。
コメント
この記事へのコメントはありません。