2010年06月14日
川上昌裕
いよいよ関東圏も梅雨に突入しました。
毎年の事ながら、“憂鬱”な時期に突入
今朝、NHKの、“こころの遺伝子”という番組を観ました。
とても素晴らしい番組でした。
今日は、辻井伸行さんが、
ウ”ァン・クライバーン国際コンクールの
優勝からちょうど1年だそうです。
辻井伸行さんについては、ニュースステーションが
ずっと追いかけてるようで、たまに特集をしている
そうですね。
川上昌裕、と言う方をご存じでしょうか?
辻井伸行、と言えば今やメジャーな盲目のピアニスト。
その彼を6歳から12歳まで指導した先生です。
“指導者”を扱ったものを見る時、やはり職業柄か、
僕は、テニスと言うフィルターを通し、観て、考えます。
川上先生の簡単なプロフィールは、
1965年 5月、北海道旭川に生まれる。
ピアノを札幌で宮澤功行、東京音楽大学で弘中孝、三浦捷子に師事する。
1988年 、東京音楽大学(ピアノ演奏家コース)を首席で卒業。
音大在学中から、ソロと室内楽において意欲的な活動を始める。
1988年3月 第1回ピアノリサイタルを開催。
同年4月 バルセロナにおけるマリア・カナルス国際コンクール第4位入賞。
6月 渡欧。
9月 ウィーン市立音楽院に入学。ディアンコ・イリエフ教授のマイスタークラスで学ぶ。
1992年6月 同音楽院を首席で卒業。
その後、ウィーン国立アカデミーのトイフルマイヤー教授のもとでさらに研鑚を積む。
1995年 ウィーンから帰国。
・・・とあります。
音大も、ウィーンでも首席で卒業です。
今日の番組では、子供の頃、ショパンの楽譜を買うために新聞配達をしていたことを話していました。
帰国、とあるのは、日本の大学時代の恩師より指導者の打診があったからだそうです。
そして、初めての弟子が辻井伸行。
ピアノの才能を見て欲しいと、両親がお願いしたそうです。
辻井さんは、まだ2歳くらいの時、ブーニンのショパンのテープを聞いていると喜んではしゃいだそうですが、ある日、そのテープが故障してしまい、レベルの低いピアニストの?同じ曲を聞かせた所、ノーリアクション。
???と思い、ブーニンをサイド入手し、聞かせてあげると
前回同様、喜んだそうです。
耳が良い、弾いている人を聞き分けるのだとこの時に
感じたそうです。
川上昌裕が初めて辻井君のピアノを聞いたとき、
ひとつひとつの音を解説するが如く、弾いたそうです。
レベルが高すぎて理解できませんが、すごいんだな、と。
また、和音や不協和音を当てるのです。
先生が両手で、たたいた音を、直後に同じ指で音を出す。
これは、鍵盤すべての音を耳で記憶してるのだと話していました。
びっくり。
川上先生は、ウィーンで師事していた先生に、
“ミット・ヒライデ”(喜びを持って)
と、指導されていたと話していました。
難しい曲にチャレンジしているのに、そんな余裕はないのに・・・と、当時は思っていたそうです。
辻井君には小学1年生になった時に、
“器の大きなピアニストになれ”
と伝えたそうです。
当時まだ彼は、“器”を理解出来ずにいたそうですが・・・。
(父親が器を集めるのが趣味で、その事かと思ったと)
川上先生は、辻井君の才能に対し、
“変な味付けをしない”事を心がけたそうです。
音符を覚えさせるときは、
“右手バージョン”
と、
“左手バージョン”
を、それぞれ録音して渡したそうです。
17歳で初めての国際大会“ショパンコンクール”
15歳の時に、辻井君が先生に出たいと言い、
まだ早いと思いながらも、承諾。
“マズルカ”という課題曲で壁にぶつかります。
音符通り弾いても駄目らしい。
この辺が素人にとっては未知の領域
1次予選を通り、2次予選へ。
イメージ沸かないまま“マズルカ”
2次予選前に、ショパンがマズルカを作ったポーランド
待ちに出ます。待ちに歩き、触れ、踊り・・・
そして、本番で今までとは違った“マズルカ”
を披露するのです。
大賞は取れませんでしたが、“批評家賞”を獲得。
その後、
2007年春に、独立、勉強を目指し音大入学と共に
12年間指導してもらっていた先生との離別。
2009年5月、
ウ"ァン・クライバーン国際コンクール で優勝。
4年に一度のコンクールで、優勝者には5年間の世界ツアーを約束されてるとのこと。
優勝前のファイナリストに残った時に、
川上先生に電話で興奮しながら報告するシーンが
感動でした。
帰国後の記者会見で、
“器の大きなピアニストになりたい”
と語ります。
“器の意味”の分からなかった少年が・・・。
この時のこのセリフに、川上先生は照れてしまったと
話していました。
でも、指導者冥利に尽きますよね。
音大、ウィーンと共に成績トップで大学を卒業するものの、
コンクールでは一向に結果が出せずに、将来を不安視して
いた中での、帰国。
今は、週に30人を1対1で指導されてるそうです。
“常に真剣に”
“いつもリングに上がっている状態”
彼(辻井少年)自身常にそういう態度でレッスンに臨んできたのだと話していました。
今も、常に強くその気持ちを持ち指導に当たられてるとの事。
僕の2歳下です。
この番組を通し、まず感じたのは、
成績優秀なのに、コンクールでは結果が出ないジレンマや
葛藤に悩んだのだろうな、と言うこと。
ピアノは分かりませんが、コンクールの世界の厳しさが
伝わってきます。
プレーヤーから指導者への転身にも深く悩んだことでしょう。
でも、その彼が辻井少年と出会った奇跡?みたいなものに
運命を感じます。
先生が、世界で活躍するピアニストになっていれば、
指導者としては出会ったいなかったはずですから。
彼の将来を案じ、手放した時も寂しかったと思います。
これは、テニスの世界でもあります。
上のレベルに上げる時や、違うスクールを勧めた方が
本人にとって良い時があります。
抱えては駄目なんです。
錦織も島根で良いコーチに指導されて、今があるのだと思います。
また、根本的に考えさせられるのが、
彼が視覚障害を持っていなかったら、どんなピアニストになっていたか・・・と言うこと。
ピアニストになっていたのかな?とも考えます。
置かれていない立場の事は、分からないのですが。
“常に真剣に・・・”
とは、僕らのような職業には1番大切なことだと
常日頃から思っているのですが・・・。
耳が痛い・・・
と言ってはいけませんね。
コーチにはその日が4レッスン目でも、
生徒には大切な1レッスンなんです。
疲れた顔は見せられないし、
真剣に向き合わないといけません。
また、ジュニアに対しては、才能を見抜く力
を養っていくことも大事なことだと思います。
頑張ります!
チャーシュー探しも頑張っています
その話を聞いた行きつけの大将からのプレゼントが
あり、今日は味付け卵から・・・
味玉製造カップ(3個まで)
付け汁も最小限で済むと考えてる。
麺汁を薄めて漬ける。
プレゼント。
磯子の浜マーケットの肉や。
の、チャーシュー。
もう少し半熟が希望だった・・・
水から入れて、沸騰したら火を止め、蒸す。
3分半とのネット情報。
次回は3分だな。
漬け時間1時間だと、まだこんな色
出来上がり。
チャーシューは・・・70点くらい?
平均点だが、深みに欠ける・・・(生意気?)
自分で作ることになるか・・・
今回のラーメン。
面がつるつるしこしこで美味しかった!
またまた長くなってしまった・・・
所要時間1時間半くらい?
だから妹は見てくれないんだな。
こんなお天気でもインドアは出来る。
今日は20時から1レッスン。
結構上手なクラス。
頑張ろう。
11時からはワールドカップ。
応援するかな。