2011年01月03日
門前高校女子ソフト部
元旦から三日間、良いお天気でした。
3日続けてテニス、という生徒もいました
僕はやっと熱が下がり、まともになってきました。
今回のような熱とだるさは記憶にある限り、初めてかも?
と言う位つらいものでした。
ピークは元旦のお昼から夜にかけて・・・。
幻覚のように、もう一人の自分が上から見てる感じで、
寝ようにも寝られず・・・。
と思えば、自分が分裂してもうひとりになったり・・・と。
咳と痰がまだ酷いんですが、とりあえず明日から始まるレッスンは出来そうなんで良かった。
新年一発目ですから、元気はつらつでやらないとね。
と言うわけで、まだ一滴も飲んでません。
飲みたい気にもならないのですが・・・。
12月30日にたまたま録画した
“わたしたちの時代”
ソフトボール部のドキュメンタリー?というとこまでチェックして、外出。
今日、観たのですが・・・。
いろいろと見てきましたが、こんなに感動するドキュメンタリーはなかなかお目にかかれません・・・
と言う感想。
いやぁ・・・感動しました。
忙しい時期ですからね。
見てないでしょうね。
石川県の能登にある門前高校の女子ソフトボール部を追ったドキュメンタリーです。
監督は大学時代に全日本選手に選ばれ、世界大会でも優勝した室谷妙子という方。
撮影当時59歳。
22歳で大学を出た後、母校門前高校に戻り、女子ソフト部を作り・・・。
希望者は自分の家に下宿させてあげています。
食事当番は4時半に起きて、20人ちょっとの朝食を作ります。
ご飯を食べて6時半に登校~朝練。
化粧、日焼け止め禁止、携帯禁止はもちろん、眉毛を整えるのも禁止・・・と言うと、とても厳しい感じに見えますが、
とても明るい雰囲気です。
番組中も監督が怒るところは一切ありませんでした。
男性だったらもっと違っちゃうとこなんですが・・・。
コーチは室谷監督の1期生がそのままずっと付いて来てやっています。
1番に感じたのは、
“この子たちはもう将来きっと大丈夫だろう”
ということ。
僕の辞書には、
“何事も3年間必死にやる事が出来れば1人前”
とあります
と共に、“スポーツを通して学ぶこと”の大切さも常に考えています。
今回の門前女子ソフトの子たちを見ていると、生きる上で大切なことを、ソフトを通してすべて学んだような気がするのです。
礼儀から始まり、
努力する大切さと得られるものの大きなこと、
最後まであきらめないこと、
友情、
自分ひとりで生きているわけではないこと、
などなど、とっても充実した中身の濃い3年間なのです。
とても羨ましいとも思いました。
感想が書ききれませんが、寝正月の恩恵か?お休み最後の日に、大きな感動と共に、とても清々しい気持ちになれました。
今日は箱根駅伝復路。
早稲田が大学駅伝3連覇でしたね。
山のくだりで滑って転ぶアクシデントがありながらも
早稲田が頑張りました。
生まれ育った街が早稲田なので、子供の頃から大学スポーツは、なんとなく応援してしまいます。
母からも、“感動したね”とメールが来ました。
明日からのレッスンに備え、ニューボールを購入しにウィンザーへ。
駐車場を出る時、“戸塚料金所を通過しました”
と車のラジオから・・・。
・・・ん?
ちょっと遠回りになるけど、帰りにすれ違えるかな?
1昨年はバイクで
保土ヶ谷まで行き観戦。
昨年はテレビ。
偶然とはいえ、こんな機会もないから・・・
と、一路保土ヶ谷へ。
横浜駅~保土ヶ谷まで沿道は観客でいっぱいでした。
狩場の少し手前で
先頭の早稲田。
2位の東洋大学
走るのが速くてなかなかうまく撮れません。
19校と学連選抜の20チームと、走者10人。
実際に走る200人とその他の選手、その家族、親戚、友人・・・ひとそれぞれ沢山のドラマがあるのでしょうね。
走る本人が1番大変ですが、周りで支えてる人の苦労も
大変・・・。
毎年感じるのは、ゴールした時の、優勝と2位の差。
2位なのに・・・。
今年は10位までの来年のシード権争いもすごいデットヒートで見てる方がしんどいくらいでした。
ラストに道を間違えるし・・・。
もう、なにも考えられない状況なんだろうなぁ。
そうそう・・・
20人を見送り、“解除車”なるものも通り過ぎ、
しかしまだ渋滞のろのろ運転。
ちょうど権太坂を登り切った沿道で、通り過ぎたのに、
まだ携帯のテレビで観戦しながら左手にこちらに向かって
歩いてるひとりの男。
ん? どこかで見たことある顔・・・?
ヤマハ時代の後輩嶋田であった
“嶋田っ!!”
と声を掛ける。
“あれっ!? どしたんですか?”
と驚く。
そりゃぁ、驚くわな・・・
少し離れた所に、奥さんと子供2人も発見。
彼は一国からそう遠くないところに住んでいるので
たしか、昨年も見ていた・・・ような事を聞いたような・・・。
こうして、今年の初会話の相手は、嶋田となった・・・