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テニスコーチは憂鬱? 全日本ベテラン連続出場を目指し、自分に甘えがちなこの性格と戦いながら、レッスンと練習に励むコーチの、食生活と遠征の日記。

ふじちゃん

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10/03 22:27

若年性認知症

晴れ

今年で46歳になり、テニス的にはベテランJOPを周ったことが大きな出来事でした。

ヤマハスクール時代の学生のアルバイトコーチだった後輩たちも40歳前後になる。

子供のころ・・・40歳と言ったら、もう良い大人だと思っていた。
家庭を持ち世の中の事を知りつくし、立派に生きてるものと。

18~20歳まで働いていた用賀のスクールの上司なんて、とても大人だった。
とても怖い人だった。
派遣先の埼玉のスクールでは修業だった。
働いていたのは僕を入れて3人。
インドア2面のボールの毛玉を取るのに掃除機をかけていた。
たった2台の、しかも家庭用のものである。
2時間くらいかかってたかな・・。
コートと壁の間にネットが張ってあり、その中にまで入らなければならず、結構難儀だった。

午前中に2レッスン、ナイターまで約5時間、何もする事がが無かった。
近くに中華料理屋さんがあって、そこでのランチだけが唯一の楽しみだった。小さなお店だった。好き嫌いが多いのですが、食べられるメニューはほぼ食べつくしたかな?
近くに志木というわりと大きな駅がありましたが、そこまで行く足もないし、ほとんど昼はそこで済ませていました。

たまに練習してもらいました。
社員の上司と先輩のアルバイトコーチ(関東で当たった先輩)。
二人とも上手できつかった・・。

パッシングショットの練習で、10本抜けたら交代! も、僕の番でだけ時間がかかった。

練習がないと、3畳くらいのコーチ控室で休養する。
でも、寝るのは禁止。(なんでだった?)
寝るくらいなら本を読め、と言われた。

レッスン中、球出しがへたくそだと言われ、担当を変わらされ、僕はコート横で見てる・・・そんな事もあった。

毎晩、レッスン後反省会。
たいてい当日の担当生徒の技術的なこと。
”こう言う生徒がいるんですが、どう矯正したら良いですか?”
なんでも的確に答えてくれていたと思う。

毎期、継続率が発表されていたが、いつもびりだった・・

スクールは埼玉の朝霞台と言う場所(何の偶然か、今妹が住んでいる土地)にあり、毎朝駅前のロッテリアで(強制的に)待ち合わせさせられ、徒歩30分かけて歩いて行っていた。

しばらくして僕がスクーターを埼玉に持ち込んだ時は、後ろに乗って通った(違法なのは良かったのか?)

お酒の好きな人でよく飲みに連れて行ってもらった。
まずは朝霞台駅前のおでんや、顔見知りになった。
美味しかった。

途中駅の成増でも何度か飲んだ。
あとは池袋。
なんか地下の居酒屋さんでしたが、焼きトン?みたいなおつまみが美味しかった記憶がある。

当時上司は用賀在住、僕は経堂。
池袋からの最終電車にはお世話になった。

上司と何十回と飲みに行ったが、1度も支払いをしたことがない。
”給料日だから・・・”と言っても絶対に受け取らなかった。

僕が19歳、上司は30半ばだったと思う。

桜木町のヤマハのスクールに勤めるようになって用賀は辞めたのですが、10年後くらいに、1度そのスクールのワンデートーナメントに出た。まだその上司は働いていて試合を観てくれた。
”藤田、上手になったなぁ・・”
と言われてとても嬉しかったのを覚えてる。
たぶん、その上司に褒められたのはそれが初めてだったから。

その後、また5~6年後?くらいに近くを通った際、寄ってみたが、もう経営母体が代わっていてそのコーチはいなかった。

1番、会いたい上司です。

その後、ヤマハでも厳しい支配人2人に育てて貰いました。
今は長野と北海道に住んでいます。
会ってみたいなぁ、と思います。


ちょっと話がそれましたが、昨晩の”エチカの鏡”で、

死ぬ時後悔する25” と言う番組の放送がありました。

終末医療に携わる医師が1,000人の死と向き合ってきた中で感じたものを本にしたらしく、その話題を扱ったものでした。

1位は”大切な人に感謝の気持ちを伝えなかった”
だったのですが・・・。
今の60歳以降の年代はそう言った表現をしないようです。
気持ちはあるんですが。

女性は、独身の方に
”結婚しておけばよかった”
”子供を産んでおけばよかった”
とのお話が多かったよう。

僕も子供は好きで、ジュニアのレッスンもすすんでやってきました。
昨日の朝も小3が2人、小4、小6の4人クラスですが、自分が親だったら、なんて考えたりもします。
中高校生にも、礼儀やマナー、言葉遣いは注意してるつもりです。

この本、ちょっと読んでみようかと思います。

ただ、こう言った感覚を持つこと自体が歳をとったと言うことの証なのかもしれません。


年配の生徒の”親”が、病気になったり体調を崩したり、という話をよく耳にするようになりました。
”私たちもそんな年になったんだなぁ・・・”
と、生徒が口にしたりしています。

僕も父は3年前に亡くしました。
母はまだ65歳で僕の年にしては若いと思う。(今は嵐のファンなのでそう言った感覚からも若いか?1番は福山らしいが・・・)
糖尿を患っていますが、それ以外は元気にやっています。
昔も今も?自分の親だけは、いつまでも死ぬなんてことはないだろうなぁ・・・なんて思ってたりします。


昨晩深夜、日テレの、”若年性認知症”のドキュメンタリーを見ました。

”明日の記憶”そのままでした。

発症したのが47歳。
今年の8月8日、肺気腫などの合併症でなくなりました。
享年62歳。

結婚して32年。
結婚生活の約半分が介護生活だったと語っていました。

だんだんと記憶が遠くなっていき、最後は奥さんの名前も忘れてしまいます。
いらだちや怒り、徘徊・・・。

どんどん消えていく記憶に悲しみや切なさは当人にも家族にも・・・。
でも、他人事でない年になって来たのも現実です。

47歳と言えば、僕にとってはもう来年なんです。
原因は分からないようだし。

後悔すること、認知症・・・と二つ重なったので、なんか考えてしまいました。

一日一生、と言いますが、すぐ忘れてしまいます。
テニスなら、この1球、と同じかな。

残された人生。
出来る限り、出来る範囲で努力したいと思います。

これを読んでくれてる皆さんにも、幸多かれ、と。
ドキュメンタリー | 投稿者 ふじちゃん 10:57 | コメント(0) | トラックバック(0)
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