2012年12月31日
2012
穏やかな大晦日。
昨年同様、しげそばで年越しそばを頂く。
いよいよ来年で50歳を迎える。
かなりのおっさんである。
中身は20代の頃とほとんど変わってないのに・・・
変わったのは、“不安”な部分が増えたこと?
自分自身に対して、“厳しく”と思わないと動かなくなったこと?
もともと、教えることに対しては“慎重”な考え方。
“これが出来ないと”前に進めない、とか。
“冒険”もあまり好きではない。
“堅実”なプレーを心掛けてきた分、生徒にもそれを求めてきた感がある。
それらは、“勝つため”にしてきた。
俗に言う、“テニスエリート”ではない人間が、どうやって勝ち進んでいくか?ということを考え抜いて、得られた結果が、“固いテニス”だった。
基本、土台、がしっかりしていれば、幹も太くなり、引き出しも多くなり、結果、選択も増えていく・・・と信じてやってきた。
テニスに限らず、スポーツは、ある程度までいくと、それ以上の上達に時間がかかる。
大人になってから、3年後、5年後・・・と言われてはモチベーションも下がる、ってなもん。
その辺に教える側のジレンマはある。
が、しかし、続けていると、3年、5年があっという間に経ってしまってる・・・ことも僕は身をもって知っている。
今年、運と縁で全日本に出場することが出来た。
運と縁・・・謙虚な?感想に聞こえるかもしれませんが、試合に出ていると、そんな風な事象がけっこうあります。
運と縁だけ・・・でもないのは、“堅実”なテニスをやりとおしてきたからなにがあるかも、と。
あとは、やはり“経験”。
これが1番大きいかも。
ある程度の技術をもったあとは、その後選ぶ道次第で変わってくと思う。
草トーに出続けて得た経験も、公式戦では、当初、あまり役に立たなかった。
同じテニスでも、やはりちょっと違った。
みんながみんなそうではないかもしれませんが、公式戦に出てくる人は、闘争心=戦う目がちょっと違った。
僕なりに精いっぱいでしたが、それを感じ取り、自分に反映させるのに3年かかった。
口では“全日本”と言いながらも、どこかまだ“難しい・・・”と感じながら出場していた。
そこから脱したのが北信越でした。
変な?欲もなく、“ただ、ただ、目の前のボールを追う”ことだけだった。
今も忘れない、決勝戦での松本の青空。
サービスゲームでトスを上げるたびに、
“澄んだ青空とテニスが出来ている幸せ”を感じていたのです。
あの3.11があったから余計に感じた恵まれた幸せとそれを感じさせてくれる空でした。
あの青空は一生忘れないでしょう。
そして、試合のたびに応援してくれる生徒、友人、後輩に、とても元気づけられました。
実は、プレッシャーにもなったのですが・・・
そして、名古屋でのあの青空。
もちろん、松本の時の青空を思い起こしながらのテニスでした。
思い起こすと・・・
今年は、30年のコーチ人生のご褒美を貰った1年だったように思います。
全日本に関しては、連続出場目指し、来年は1月から計画的に出場する予定です。
生徒にも、テニスの魅力、そして試合出場。
ひとつでも多く、納得のいく試合が出来るようになって欲しい。
失敗を生かし、小さくても確実に、ひとつひとつステップを上がって行って欲しい。
そして、ジュニアにも、テニスを通しての人間教育、
そして、県ジュニア、関東、そして・・・世界を目指して欲しいと思います。
子供に対しては、可能性がある限り、親が出来る精いっぱいの環境作りをしていただき、本人が納得するまでプレーさせて頂きたい、と思っております。
仕事、家事、子育て・・・いろいろありますが、自分なりにベストを尽くして、怪我なく健康に1年を過ごしていけたらいいですね。
今日で3日、ボールを打っていません。
ちょっと素振りはしてます
あと3日・・・。
肘が良くなってると良いなぁ。
50歳のおっさんは来年も頑張る
今年より足を動かすのが目標