2009年12月05日
レオン・フライシャー
昨日とは打って変わった良いお天気。
とても暖かかった!
ランチは久しぶりに大好きなハンバーグも食べられて満足。
ガストのハンバーグの味が大好きなのである
レオン・フライシャーという名前は、ピアノを専門にしてる人は知ってるんでしょうね。
僕は今日テレビではじめて知りました。
NHKの教育テレビです。
滅多に見ない3ちゃんねるですが、今日はザッピング中に当たりました。
”指導”と言う言葉が目に入ったからです。
昔はそんなことなかったのですが、“教える”仕事をしてるので、ジャンルを問わず、関心を持つようになりました。
テニスなら、どうあて嵌めたら良いのだろうか・・・などなど。
レオン・フィッシャー(81)と言う方は、100年にひとりと言われた天才ピアニストです。
興味のある方は調べていただければ分かります。
37歳の時にジストニアと言う病気にかかり、引退を余儀なくされます。
右手の2本の指が動かなくなってしまったのです。
原因は不明とされていますが、過度の練習のタメと言われています。
ピアノを弾く時にだけ動かなくなるんです。
脳から頼んでもいない指の収縮が起きてしまうと・・・。
解説に来ていたのが横浜市大の整形外科の先生なんですが、
なんと、市大には“音楽家専門”の整形外科外来があるそうです。びっくり。
ジストニアにかかってしまった人を200人くらい診たと話していました。
ピアノだけでなく、管楽器、弦楽器にも起こるそうです。
彼は、その後指揮者と指導者の道を選びます。
指揮者としてもすぐに評価され、後進の指導にも手腕を発揮します。
40年を経て、治療が進み完全ではないのですが、何とか右手でもピアノを弾けるようになったようです。
ピアノを弾けなくなって挫折せずに、生きて来たのは大変だったと思います。
弾けなくなってからも、毎日必ずピアノの前に座っていたそうです。
「急に発症したのだから、急に治るかもしれない事もあるのではないか・・・」と語っていました。
以下抜粋
ピアニスト、指揮者、そして指導者として著名なレオン・フライシャーは、舞台演奏のキャリアが60数年目にもなるが、彼は出生地のサンフランシスコで4歳にしてピアノのレッスンを始め、8歳で最初のリサイタルを開いた。翌年、偉大なるドイツ人ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルの下で学び始め、1944年、16歳でニューヨーク・フィルハーモニックと共演を果たした。1952年、歴代初のアメリカ人としてエリザベート王妃国際コンクールにて優勝する。フライシャーのキャリアはその後12年間上昇し続け、全ての主要なオーケストラ、指揮者と世界中で共演し、あらゆる場所でリサイタルを行い、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団とベートーヴェン、ブラームス、ラフマニノフのピアノ協奏曲など試金石となるレコーディングを多数行った。
だが1965年、右手の2本の指が突然動かなくなってしまう。様々な治療法を試すも、一時的にしか回復せず、若干37歳にして引退をよぎなくされる。このことは彼のキャリアにおいて決定的な瞬間であったが、最近の治療により、彼を人生の半分以上において蝕んだ局所的筋失調として知られる神経性疾患を取り除いたのである。この数年、(頻繁にではないが)再び両手で演奏を行っており、40年ぶりに両手での演奏による「Two Hands」という音楽自伝的レコーディングを作成した。バッハ、スカルラッティ、ショパン、ドビュッシーの他、シューベルトの最後のピアノ・ソナタが収録されている(発売:ヴァンガード・クラシック)。
ピアニストとしてのキャリアを突然閉ざされてから40年間、フライシャーは指揮者と指導者という2つの平行したキャリアを歩み、同時に左手ピアノのための広範囲な、しかし限られたレパートリーを学んだ。1967年に指揮を始めたが、両手で再び演奏することを決してあきらめなかった。
1967年にケネディ・センターでシアター・チャンバー・プレイヤーズを設立し、1970年にアナポリス交響楽団の音楽監督に就任したことにより、フライシャーは指揮者としての評価を素早く獲得した。1970年にモストリー・モーツァルト・フェスティバルでニューヨークでの指揮者デビューを果たし、1973年にはボルティモア交響楽団の副指揮者となる。これまでにクリーヴランド管弦楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、モントリオール交響楽団、デトロイト交響楽団や、その他多数のオーケストラと共演している。新日本フィルハーモニー交響楽団とは首席客演指揮者として各シーズン中に様々なコンサートで共演したこともあり、また、ヨーロッパ室内管弦楽団、グスタフ・マーラー・チェンバー・オーケストラとも定期的に公演を行った。
後進の指導はフライシャーの人生において重要な位置を占めている。非常に崇拝されている教師であり、1959年よりピーボディ音楽院にて栄誉教授(Andrew W. Mellon Chair)として務めるほか、フィラデルフィアのカーティス音楽院、トロントの王立音楽院の教授でもある。1986年から97年はタングルウッド音楽センターの音楽監督として活躍した。アスペン、ルツェルン、ラヴィニア、ヴェルビエ、その他の音楽祭では世界中から集まった生徒たちと交流を行っている。また、ザルツブルク・モーツァルテウム、パリ音楽院、サンジャンドリュッツのラヴェル・アカデミー、マドリードのソフィア王妃学院、エルサレムのミシュケノット、ニューヨークのメトロポリタン美術館でマスタークラスを行っている。
「突然、私の人生で最も大事なことは両手で演奏することではないと気付きました」と、ベートーヴェンの5代目の弟子であるフライシャーは言う。1939年にドイツからアメリカに渡った彼の指導者シュナーベルは、ポーランドの巨匠ピアニストであり指導者であったテオドル・レシェティツキの弟子であり、レシェティツキはベートーヴェンに師事したチェルニーの弟子である。「テクニックではなく情熱が大切だということが、私がシュナーベルから学んだことです」とフライシャーは語っている。
ゴルフでは“イップス病”が有名ですが、野球やテニスでもあるようです。
ゴルフでは江川のドライバーは有名ですね。
テニスでは、コリアのサーブがそうだったようです。
生徒にも無意識に意識した?手首を使ってしまう症状の人がいます。ゆっくりしたボールに対するフォアハンドストロークなんかに良く見られます。
フォアボレーやスライスで手首を返してしまう人も多いです。(今日のクラスにも二人)
上記に関しては、ゆっくりスイングすればすぐに解消出来ると思うんですが・・・。
それぞれのグリップに合った正しい打点でボールを捕らえられれば、自ずと正しいスイングが出来ると思います。
これは、球出しの基本練習でつかむのが1番でしょう。
今月のテーマでもあるアプローチ
アプローチ~ファーストボレー~セカンドボレー(繋ぎや追い込む)~ウイニングショット
の練習時に1番に考えなければいけないのは、アプローチをミスしないことです。
アプローチをミスすると、それ以降の練習が全くできない1ポイントになってしまうのです。
ファーストタッチのミス(ダブルフォルト・リターンミス・リターンからのアプローチミス)を無くすことに強く意識を持つようにしましょう。
足元に沈めること、相手深く打つことは、確かに大事ですが、基本に返って考えると、まずはコートの中に収める事が出来ないといけません。
ネットがあり、横と後ろに線が引いてある枠の中で行うスポーツです。
1番はネットを越すこと2番目がコートに入れること!
次に深く、そして、回転、最後のスピードを求める。
何度も話していますが、繰り返し反芻しましょう。
明日は、Jリーグが熱いですね。
ゴルフは遼君の奮起が期待されます。
ドラマは“不毛地帯”が面白い
“おひとりさま”は、自分とダブるところもあり・・・。
ちょっと流し観。
“男が女を愛する時”☆☆☆
夕方観ました。
メグ・ライアンとアンディーガルシア(ゴッドファーザーではかっこよかったね~)主演
アルコール依存症の妻とその夫(パイロット)のヒューマンドラマ。
メグは子連れの再婚、新しい夫との女の子も一人。
子供二人の縁起が良いいんです。
子供に対する愛情・感情と言うのは子供を持ったことがないと分からないんですよね。
これだけはちょっと後悔だなぁ・・・。
生きていく中で、やはり、人間には守るべき相手は必要だと思います。
この順番を間違えないように!!
あの靴紐いかがですか?